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いつものように気ままに塀の上を歩いていたタイガーは嗅ぎなれない匂いに鼻をヒクリと動かした。 この匂いはなんだ? どちらかといえば顔をしかめるような匂い。探ってみるとついこの間まで空家だったアパートの一室、窓が大きく開けられている。なぜだか妙に気になったタガーは身軽に塀の上、屋根の上、と移動し窓から部屋を覗き込んでみた。とたんに強くなる匂いと、それに混じって甘い香り。部屋の中では小柄なニンゲンが一心不乱にカンバスに向き合っていた。その向こうには花瓶に生けられた花があり、カンバスニも同様、いや実際よりもより鮮やかにみずみずしく花が咲いていた。どうやらこの部屋の新しい住人は画家らしい。 なるほど。あのにおいは絵の具と花か。 よほど集中しているのかタガーが窓辺にきたことにも気づかずニンゲンは筆を走らせている。ただ絵を描いているだけならばタガーの興味を持つことはなくすぐに気ままな散歩を再開させたことだろう。しかし、有り体に言うならばその絵は素晴らしかった。何種類もの色をつかいみずみずしく咲き誇っている一輪の花をそれ以上の美しさに昇華させる。絵なんて興味がないタガーが思わず見惚れてしまうほどに。 すで作業は終盤に入っていたらしくほどなくしてニンゲンは何度かカンバスと花を見比べ筆を置いた。そして完成した喜びからか軽い動作で椅子から立ち上がるとモチーフとして役目を終えた花を手に取り、ぞんざいにゴミ箱に投げ入れた。 ……は? あまりにも軽いその動作にタガーは思わずぱちくりと瞬きをした。しかし現実は変わらずあんなに見事に咲き誇っていた花は黒いゴミ箱の中で力なく横たわっている。ニンゲンはというと何事もなかったかのように道具を片付け初めていた。機嫌がいいらしく鼻歌(下手くそだった)を歌っている。 タガーとて気まぐれな猫である。さっきまで気に入っていたものを次の瞬間には見向きもしなくなるということはよくあることだったが、彼の知っているニンゲンというものは総じて気に入ったものは大切におっておき長く愛するような奴らばかりだった。それがこのニンゲンはどうだろう。タガーのその先入観じみたものを変えてみせた。 残酷なほどにあっさりと。 よくみるとゴミ箱の中には先ほどの花とは違う種類の花がいくつも横たわっていた。あるものは変色し、あるものは枯はてニンゲンに愛でられ観察されていたであろうときの美しさは微塵もない。今さっき投げ入れられたあの花もそう遠くないうちに同じ運命をたどるのかと思うと目をそらしたいのに、そらせない。 「あ、猫さんだ」 ニンゲンがやっとタガーに気づいたらしく声を上げた。その時やっとタガーはカンバスでも花でもゴミ箱でもなくニンゲンを見た。ミストと似たような黒い髪に同じく黒い目がじっとタガーを見ている。にっこりと笑ってニンゲンは言った。 「こっちにおいでよ」 その瞬間タガーは逃げ出した。「あっ」という残念そうな声が聞こえたような気がしたが構わずかける。言い様がない何かを感じた。それは多分猫の本能で、逃げろ、と言っていた。あれにかかわらないほうがいい。あの目に見続けられたらいずれ、あのゴミ箱の花のようになってしまうような気がした。 |