昨日はあれほど強く逃げなえればいけないと思ったのに、タガーはまたあの画家の家の窓にいた。あの時逃げてしまったのが負けたような気がして、プライドがいたく傷つけられたのだ。少なくともタガー自身はそう思った。それでなくても彼は天邪鬼だ。 画家は変わらず窓に背を向けて絵を描いていた。しかし向かっているのは昨日と違いカンバスではなく膝にたてて置いたスケッチブックだった。 しゃっしゃっ、と鋭く削られた鉛筆が動く音と鼻歌が聞こえる。 来たはいいけれど、だからってどうすればいいのか。 来ることが目的でそのあとのことを特に考えていなかったタガーはさてどうしたものかと窓枠に腰掛ける。このまま眺めていてもよかったがいかんせんニンゲンはあまり動かない上に手元が見えないから視界に変化がない。ならば鼻歌を聴いていようかとも思ったが聞き苦しくこそないものの好んで聞いていたいかと聞かれるとNOと答える程度にやっぱり下手だった。 つまり、目的を達成してしまったタガーは暇だった。 変な匂いはしないし日差しは暖かい。昼寝も選択に入るところだがここは見知らぬニンゲンの家だ。ほぼ野良猫であるタガーにとってそれは少しばかりためらわれることだった。ランパスが聞いたら無言でひっぱたかれるだろうし、マンクが見たら口うるさく説教するだろう。 そう考えたタガは昼寝をすることにした。どうせニンゲンは集中していてこっちには気づきもしないだろう。 決めてしまったとたん日差しが眠気を誘ってくる。目を閉じまるまったタガーはすんなりと眠りについた。無論、ちょっとでもニンゲンが動く気配がすれば起きれる程度で眠るつもりだったのだと、彼の名誉のために明記しておこう。 昨日臭ってきた絵の具のにおいでも、花のかおりでもない。夕飯時のジェニーの家のようないいにおいにタガーはふっと目を覚ました。はて、ジェニーの家にいたんだったかと思ったその時。 「猫さん起きた?」 聞こえてきた声にタガーの意識は完全に覚醒し同時に自分が間抜けなことに寝入ってしまったのだと気づくとすぐに窓枠からおり逃げるべく立ち上がった。 「あっ猫さんまって!ご飯作ったんだけど食べない?もちろんたまねぎは使ってないよ。あと俺の好みでニンニクも使ってないんだ」 ピタリ。タガーは動きを止める。ふりかえるとこれから食べるところだったのかニンゲンの前の小さな机の上に肉団子がごろごろとはいったペンネパスタが盛られた皿とと水の注がれたコップが置いてあった。そして革張りのソファーの上に同じパスタが盛られた皿と水の入った皿が置いてある。どうやらそっちがタガー用らしい。 「一人で食べるのは寂しいと思ってたところなんだ。頼むよ。味は保証するから」 普段からいろんな家で食べ物をもらっているタガーにとってニンゲンの食べ物はそこまで警戒するものではなかったし、なにより自分で言うだけあって美味しそうなにおいが鼻腔をくすぐった。タガーの反応を待つようにニンゲンはタガーを見つめる。目は口ほどに物を言うというがまさしくだった。 ソファーに飛び降り近くでにおいをかぐ。やっぱり美味しそうだ。一口食べてみる。においのとおり、美味しかった。 はぐはぐと食べるタガーにほっとしたのか「いただきます」というとニンゲンも食べ始めた。 時折視線を感じるが実に静かに食事はすすむ。どうやらニンゲンは食事中は喋らないタイプらしい。 あっという間にタガーが食べ終わり口の周りについたソース(トマト味だった)をぬぐい顔を洗っていると「ごちそうさま」という声と共に食器がぶつかる音がした。そっちを向くとニンゲンもちょうど食べ終わったらしく目があった。 「猫さん味はどうだった?美味しかった?」 「にゃー」 うまかった。その意図を込めて一声なくと察したらしいニンゲンは嬉しそうに笑う。そして近くに置いてあったスケッチブックを手に取るとおもむろに開き何かを描きはじめた。いや、何かではない。タガーを描き始めたのだ。昨日の花を思いだしたが、飯の礼はするべきなのかもしれない。それにまだ顔が洗いたらなかった。 自分に言い訳するように顔を洗う。 しかし途中でニンゲンの視線がだんだんと真剣さをましていくのがわかるとやはり恐怖が湧き上がった。ふっと風が吹く。その風に乗ったのかわずかに花のかおりがするとタガーは立ち上がり窓枠に飛び乗った。あっ、という声が聞こえたが無視だ。 昨日と同じ逃げろという声が聞こえる。そっちのほうがニンゲンの声よりも断然優先度が高かった。 窓枠から塀に移り今まさに走り去ろうとしたタガーの背中に声がかかる。振り返らなくてもわかるニンゲンの声だった。 「猫さん、俺って言うんだ!またご飯作るから来てよ!きみが、きみが描きたいんだ」 最後の言葉は聞こえなかったことにした。 |