からんからん、来客を告げるベルの音に僕は期待とともに顔を上げた。この時間帯だと彼女がきたんだって予測がつくから。彼女は僕を見つけると微笑んでいつもの席に座る。その間落ち着き無く動いている瞳には気づかないフリをして、僕も微笑んだ。
 「いらしゃい、さん」
 「こんにちは、良太郎君。愛理さんは?」
 「姉さんは買い物。さっき出たばかりだからしばらくは帰ってこないんじゃないかな?」
 「そう、じゃあ……」
 この間が嫌だ。僕の中の黒いものが一際強く存在を主張する。次にさんが何を言おうとしているのか、何を知りたがっているのか、これまでの経験から嫌でも予測がつく。それが僕にとってたまらなく不快でしかないこともまた同じ。
 「あの、侑斗くん、は?」
 頬を桃色に染めておずおずと聞いてくる姿はまさに恋する乙女。でも僕は知っている。今もこれからも侑斗の中でさんはどうでもいいと呼べるほどに希薄な存在であることを。さんは馬鹿じゃない。きっと気づいてる。気づいてもなお、想い続けている様は滑稽としか言いようがないんじゃないだろうか。
 「良太郎君?」
 「あ、す、すみません、ちょっとぼーっとしちゃって。侑斗なら今日はまだ」
 「そっか……コーヒー、御願いしてもいいかな?」
 「姉さんより美味しく入れられないと思うけど、それでもいいなら」
 「いつも通り御願いします」
 かわした軽口に笑いあってからコーヒーを入れる。手元に注意しながらさんをちらりと見ると、やっぱり落ち着きなく目だけで扉を見ていた。その期待で一杯の顔を僕に見られてることにはきっと気づいてない。さんの頭の中は間違いなく侑斗のことで一杯だから。からんからん、来客を告げるベルの音。とたんにさんは顔をそちらに向けた。・・・さんの頭の中はきっとピンクにでも染まってるんじゃないだろうか。こっちに顔は見えないけれど、雰囲気が扉が開く前よりも明らかに明るい。不快感を顔に出さないようにしてみれば、ああ、やっぱり。逆行で少し見えにくいけれど、入ってきた人影は間違いなくさんの一方通行な待ち人だった。
 「いらっしゃい、侑斗」
 「あの人は?」
 「買い物。きっとしばらく帰ってこないよ」
 「そうか」
 「帰るの?」
 「ああ、ちょっと顔出したかっただけだ。デ、あいつにはやく帰れって言われてんだよ」
 いつものように言おうとしたんだろうけど、さんがいるから言葉を濁した。さんは本当にただの一般人だから電王に関係してることは単語一つでも聞かせたくなかったから、ちょっと不自然になっても侑斗の判断は正しいんだと思う。
 ……僕もさんも"あの人"が誰なのか知ってる。僕もさんも侑斗が"あの人"を好きなことを知ってる。なのにさんは不自然にならないようにでもしっかり侑斗を見てる。僕はそれをみて苛立ちが募るんだ。「それじゃな」侑斗が目があったんだろうさんに向かって軽く会釈してさっさと扉の向こうに消えていった。からんからん、ベルの音が響いて。ちょうどコーヒーが淹れ終わったからさんの目の前に置くとばちりと目が合ってさんはへにゃりと笑った。その顔はとても幸福そうで、でもそれは僕と目があったからじゃないことなんてわかってる。
 「……あの、さんはさ、侑斗が好きなんだよね?」
 何気なく聞くとさんの目がみるみるうちに見開かれて頬が朱に染まり金魚みたいに口をなんどか開閉しいたたまれなくなったのか視線をコーヒーに落として小さく呟いた。
 「……わかり、やすい?」
 「かなり。でも侑斗が姉さんを好きなことも知ってるんだよね?」
 「……うん」
 「じゃどうして好きでいるの?侑斗がそのうち姉さんじゃなくってさんを好きになるかもしれないって思うから?侑斗が姉さんにふられてさんにチャンスが来るかもしれないって思うから?そもそも自分から行動しないのはどうして?侑斗に話しかけないのはどうして?侑斗に好きっていわないのはどうして?僕は知ってるよ。ずっと前からさんが侑斗のこと好きだって。同時に侑斗が姉さんを好きなのも知ってる。かなわないのもなんとなくわかってるんじゃないのかな?だったらこんな風にしていることの意味は何?毎日毎日来て期待してだいたい落ち込むことのほうが多いんじゃないのかな?もともと侑斗は姉さんに合う目的でここに来てるわけだし、さんを見もしないことを僕は知って」
 「良太郎君」
 さんは声を荒げるわけじゃなくひどく優しい声で僕を止めた。とたんはっとして僕が何をさんに向かっていったかを理解して、同時に恐怖が頭を支配する。
なんてことを言ったんだろう。きっとさんを傷つけた。嫌われたかもしれない、泣かせたかもしれない、呆れられたかもしれない、もう二度と僕に向かって微笑んでくれないかもしいれない。ああ、どうしよう。僕はそんなことがしたかったわけじゃなくって、傷つけたかったわけじゃないんだ、僕はただ、ただ、
 「良太郎君」
 再度さんが僕の名を呼んでゆるゆると顔をさんのほうに向けた。さんは微笑んでいた。愁いを帯びた瞳で微笑んでいた。
 「ありがとう。きっと私のためを思っていってくれたんだよね。……良太郎君の言うとおり、今の私の片思いは私を傷つけることのほうが多いけど、でもね、幸せなんだよ。かなわないってわかってても、見てくれないってわかってても、侑斗くんのなかにちょっとでも私って存在がいれば幸せなの。会話はなくても、会釈でも挨拶してくれれば一日中ハッピーでいられるの。あはは、安い女かな私」
 侑斗の話をするとき、それが悲しい内容だったとしても、さんを傷つけるものだったとしても、それでもさんがうかべる微笑みは美しい。何度見ても見ほれてしまうほどに。僕はその顔が好きで、でも苛立ちは募るばかりで、解消法のわからないもやもやが何処までも深く心に巣を食っていたとしても
 「安いとかそういうのはわからないけど……さんがそれでいいなら、いいんだと思う」

 心にも無いことで、でも確かにそれは僕の中で真実の結論。だって僕はさんの気持ちがわかるから。さん、僕はさんが好きだよ。どんなに叶わないと知っていても、さんの瞳には思考回路にはいつも侑斗がいるってわかっていても、好きだよ。さんの微笑が、好きだよ。だから僕は今日も傷つくさんの微笑を見て幸せを感じて、幸せそうなさんを見て傷つこうって、そう思ったから。







ウロボロス

どうか、返した微笑がぎこちないものになりませんように