園の屋根にこっそり上って、星を眺めるのが好きだった。濃厚な藍色のカンバスに無数に散った輝きはどんな絵よりもきれいで、太陽で照らしつくされた鮮やかな青よりもよほど心地がよかった。空気が冴えわたっている冬のほうが星がよく見えることを知っていたから、冬の夜に凍えるほど寒い中、コートを着込んでマフラーをしっかりと巻いて、屋根に上り続けたこともあったっけ…。私は、周りに馴染めなくて常に一人で遊ぶ子供だった。それはほかのみんなよりも遅く園に入ったこともあったし、私自身が人見知りで口数が少ないことも原因だったと思う。でもそれを寂しいと思ったことはなかった。当時の私にとって沈黙はともだちで、星は愛すべきものだったから。

「なのに今じゃこの騒がしさ……」
「マキュアの話に文句あるの!?」
「ないない」

クッションを抱きかかえて最近の出来事やら噂話やら愚痴やらを息つく暇もなく話していたマキュアがじろりとこっちを見てくる。
マキュアは私と違ってすごく女の子だ。ひらひらと振る手を胡散臭そうに見つめるおおきな二重のつり目は、なんでったってそんなにながくなっちゃったのさと言いたいぐらい長く密度が濃いまつげに囲まれているし、サッカーをするからと長さこそ短くなってる爪も手入れを欠かしていないから私よりよっぽどきれいで、唇は常にリップで潤ってる。一重だったり手が荒れてたり唇が始終がさついてる私とは大違いだ。髪だって私と同じぐらい寝癖がひどいくせに、着替えが終わった時にはきっちりセットされてる。しかもどんなに激しくサッカーやっても少しも乱れない。女の子の鏡だ。
あまりにも違う私たち。それでも一緒にいる私たち。私とマキュアの共通点なんてきっと、サッカーをやってることと女であることぐらいなんだろう。…それって共通点と呼べるのだろうか。わいた疑問に引きずられるように胸の奥に巣食ってた思いがせりあがってくるのを私は止められなかった。いつもは考えないようにしていたこと。私を否定し、そんな私を好いてくれてるんだろうマキュアの思いも否定する言葉。ついと見やった先でマキュアが肩を震わせそれを隠すように唇を尖らせるのをほほえましいと思いながらも私は笑えない。

「マキュア」
「な、なによ…」
「マキュアはさ、なんで私といるの」

ぴたり、マキュアの動きが止まる。少し間が空いて、ゆっくり発された声が震えたことに気づいて私は視線をそらした。

「……なんで?」
「だってさ、マキュアはクリプトさんとかメトロンとかゼルとか、デザーム様とも仲良いよね?なんで、いっ!」

なんでわざわざ私みたいなのといるのか、とは聞けなかった。訂正。聞かせてもらえなかった。がんっと衝撃が走り、思わずもれるうめき声。後頭部をフローリングに打ちつけたみたいで瞬間的に意識が白む。反射的に文句を言おうと口を開いたけれど、一音も発することはできなかった。それは、痛みに生理的に浮かんだ涙でわずかに滲む視界の向こう、私に馬乗りになったらしいマキュアがあまりにも痛そうな顔をしていたせい。

「なんでってなんで?マキュアがと一緒にいることに理由が必要なの?ホントにそう思うの?マキュアたちの間にそんなものが必要なの?それともにとってマキュアは邪魔?一緒にいないほうがいいの?」
「っ、そんなわけないっ!」
「だったら!なんで急にそんなことっ……まさか、まさかとは思うけど、マキュアとが一緒にいるのはおかしいとでも思ったの?」

図星だった。それが顔に出たのかマキュアが息をのんだのが伝わってくる。
きっとさっき以上に痛そうな顔しているに違いない。それを見たくなくて目をそらした上に閉じた私が場違いにも思い出したのは、とある夜のこと。
いつものように星を見るために屋根に上った私の目に飛び込んできたのはうずくまっている人影だった。屋根に上がった際のきしみに気付いたのか、人影は丸まってた体をびくりと震わせて顔を上げ、……ぎょっとしたのは私も人影も同じ。なぜなら、その人はぼろぼろと涙を流していたから。つまり、泣いていたから。たった数秒見つめあっただけなのに何時間もたったような気がした。見つめあった時のマキュアの目を私は一生忘れられないだろう。しっとりと涙にぬれた睫の合間から見えたその目を。
それが私とマキュアの出会い。同じ園にいるのに私とマキュアが顔を合わせたのはこれが初めてで、かける言葉が見つからなかった私は逃げることもできず、隣に座って無言で星を見ていた。言葉一つかけることも、頭をなでることも、抱きしめることもしなかった。本当に何もしなかったのに、その日からマキュアは私の、私はマキュアの、隣にいるようになった。周りの不思議がっていた顔と視線をよく覚えている。不思議に思う理由はたくさんあっただろうけれど、みんなが一番不思議に思っていることは嫌というほどわかっていた。それはいつだって不思議の裏に隠れていたから。不釣り合いだと最初に言われたのはいつだろう。自嘲に笑う。そんなことは分かり切っていた。最初からだ。私とマキュアを探している声が聞こえて、二人で手をつないで屋根から下りたあの時から。

「……今それを言うの?」
「今だからだよ」

そう、今だから言える。今だから言わなくちゃいけない。

「マキュア、私は何も知らない子供で何かを知っても知らないふりができるぐらい大人で、マキュアもそうだった。でももう知らないふりができない。それはマキュアだってわかってるでしょ?」

私たちにそれを強要するのは逃げられないもの。逃がさないもの。

「私はもうイプシロンにはいられない」

逃がさないとでも言うように両脇に置かれていた腕がびくりと震えた。
イプシロン、それは私たち二人が所属しているチームの名前だ。お父様によって作られた、サッカーをするためのチーム。勝つために作られたチーム。サッカーでお父様の願いをかなえるためのチーム。お父様のためのチーム。
最初はまだよかった。デザーム様は最初から抜きんでていたけれど、みんなそこまで差がなくて、私でも付いていけていた。それでもごまかせない差がだんだんとはっきりしていったのだ。努力じゃカバーできない才能の差。そして囁かれる私たちの違い。

「人に話せる理由もできたし」

そっと伸ばした手の先に当たるのは肌でも布地でもなく幾重にも重なった包帯だった。扉の横に置かれた松葉杖。痛みがないかわりに動かない。練習中におった怪我のせいでこうなって、完治したとしても元のようには走れないと言われた足。沈痛そうな面持ちの医者にも顔を真っ青にしたマキュアにも悪いけど、私はこれ以上迷惑をかけなくてすむと、ほっとした。真っ先にほっとしたのだ。

「一緒にいたいのは嘘じゃない。でも周りが私たちをどうみてるか、チームを思えばもう無視できない」

負の感情ほどチームの士気を下げるものはない。もうそろそろ計画の始動が見えてくるのに士気を下げるなんて最悪だ。しかも原因が私なんてお父様に顔向けできない。チームのため、お父様のため、どうするべきなのか。私もマキュアも分かっているはずだ。泣きそうな顔のマキュアに手を伸ばし頬にふれると甘えるようにすり寄ってくる。寄せられた眉に胸がきしんだ。

「……マキュア」
「好き」
「マキュア?」
が好き。屋根の上で会った時からずっと好き。覚えてる?あの時ね、の驚いてた目、お星さまの明かりできらきらしててすごく、すっごくきれいだったの。だから、泣いてた理由も忘れちゃった」

ぼろぼろと泣きながらそれでもマキュアは笑った。出会った時のことなんてすっかり忘れてると思ったからおどろいて、そしてその言葉に何も言えない。沈黙をどう取ったのか、笑顔から一変して悲しそうな表情でマキュアは言った。

はどうしてマキュアと一緒にいるの?」
「…好きだから」
「…え?」
「マキュアと同じ。私がマキュアを好きだから」

みるみる見開かれる目。ポカンと開いた口。そんなに驚くことかと苦笑して、好意が伝わっていなかったことにすこし悲しくなる。

「……ウソ」
「ホント」
「ウソ、ウソッ!だってマキュア知ってるもん!デザーム様とがたくさんこっそり会ってるの知ってるもん!」

それは本当だ。でもそれはみるみる差が開いていくことに焦って、でも焦っていることがばれたくなくて、全員の練習が終わった後にこっそり個人指導を頼んだからにすぎない。そう伝えてもマキュアは小さい子供みたいに頭をふって否定する。

「ウソ!ホントだったら平気なわけないもん!」
「平気じゃないよ。私の気持ち否定されてすっごく傷ついてる」
「そっちじゃないもんのバカ!治療!もうすぐ遠くいくんでしょ!?」
「ああ、そっち」

それはお父様からの配慮だった。お父様は私が誰よりも遅くまで練習に打ち込んでいたことを知り、イプシロンから抜け、治ったとしてもイプシロンには戻ることはない私がここで治療するのは辛いだろうと提案してくれたのだ。たくさんお世話になったし、よかれと思って提案してくれたことだと理解していたから私はそれを受け入れた。といってもそれは結果論だけど。

「平気そうに見える?」
「だって」
「断わったよ」
「え、でも」
「私の拒否はお父様にとって遠慮みたい。デザーム様も掛け合ってくれたんだけど、駄目だった」

それはもうお父様の中で決定事項だった。どんなに拒否してもそれは遠慮と取られて、私たちが依存関係にあることに気づいていたらしいデザーム様からの説得でも一蹴されて終わり。ずっとおとなしいキャラでいたのが仇になった。お父様の中の私は自己主張が苦手で遠慮のカタマリらしい。確かにそうだ。自己主張は苦手。だからこそ頑張ってありったけの度胸を振り絞って、絶対の存在であるお父様からの提案を拒否したのに。

「ごめんマキュア。駄目だった。断わりきれなかった。いやなのに、ただでさえ一緒にいれなくなるのに、そのうえ遠距離なんて…同じ施設内にいれるって思ったからイプシロンやめたって平気だった。一日の大半会えなくたって、ちらっとでも顔さえ見れれば平気だと思ったから…」
「…
「無理だよマキュア、耐えきれる自信ない」

お父様の口ぶりからしてそうとう遠くに行くことになるだろう。下手したら海外かもしれない。めったにこっちに帰ってこれなくなるだろうし、そうやすやすと電話だってできないかもしれない。治療にリハビリ、いったいどれぐらいかかるかわからない。いったい何日マキュアがいない生活に耐えればいいのかわからない。そう思うと目の前にあるのは真っ暗で星の光も何もないただの冷たい闇だ。

「っ…いやだ、やだよ、行きたくない、マキュアっ」
「っ」

今にもマキュアが闇に呑み込まれてしまいそうな気がして、必死に腕を伸ばす。掴んでくれた手の暖かさに気付くともうだめだった。ダムが決壊するように次から次へとこぼれる涙。止める方法を私は知らない。

「足が治らなくたっていい、周りの声だって気にしない、マキュアが隣にいなくちゃ嫌!」
「ま、マキュアだって、がいなくちゃいや!だけど、いやだけど、の足が治らないのはもっといやだもん!マキュアだって離れたくないもん!でも我慢するの!」
「無理!」
「するの!」

それから私たちは抱き合って声をあげてわぁわぁ泣いた。隣の部屋のことだとか迷惑だとかプライドだとかそんなものは気にする余裕もなく、気が済むまで泣いた。そりゃぁもう泣き叫ぶ勢いで。
どれぐらい経ったのかわからないけれど、落ち着いた時にはマキュアも床に寝転がっていた。カーテンが空いた窓から差し込む光で見た互いの顔は噴き出すぐらいに酷い。泣き腫らした眼は充血し、目じりからこめかみにかけてや頬には幾重にも涙の伝った跡が残っている。泣くのはエネルギーが必要で、それを思いっきり使ったからか倦怠感が体中を襲っていたけれど、不思議とすっきりしていた。気が済んだのかもしれない。くすくす笑い合っていると、ふと不安がこみ上げたようにマキュアは言った。

「……ホントに?ホントのホントに、マキュアのこと好き?」

あ、光ってる。マキュアの目を見てそう思った。長いまつげに囲まれあふれ出た感情で未だ潤んでいる宇宙は確かにきらめて、それが、そう。あの時、出会った時と同じく私には星の瞬きに見えた。私が何より愛した輝きと同じだった。同じように潤んでいるんだろう目を細めて私は笑う。

「じゃなかったら”不釣り合い”って言われてまで一緒にいるわけないでしょ」
「じゃあマキュアは平気だし、も平気。おんなじ気持ちなら大丈夫」
「大丈夫?」
「大丈夫!」

片方の手は互いの背中に、余った手はからませて、こつりと合わさった額、見合わせた笑み。覗き込んだ目の中はやはりきらめいていた。今までの悲しみのきらめきとは違う。穏やかな、優しいきらめき。
マキュアが見ている私の目も、そうなのかもしれない。それはとても、幸せなことだと思った。








いままでもいつもいつまでもこの星は



輝きを失わない。それなら、大丈夫だと思った。



提出先:CDS、お題提供:霜花落処