昼になれば腹が減るのは何も生徒だけではない。当たり前だが龍也たち教員も生徒と同じで昼になれば腹が減り仕事の合間に昼食をとる。教員が昼食を取るのは主に職員室だが、食堂で生徒に交じり昼食を取る事もあった。といっても教員とアイドルを兼業していて何かと忙しい彼らが食堂を訪れる頻度はけして多くはない。なので昼休みに片付けようと思っていた仕事が思いのほか早く済んだ龍也が、たまにはあっちで食べるのもいいか、と思い立ったのは偶然だった。
この時食堂で繰り広げられる会話を、そしてその後の展開を知っていたら、彼が食堂へ向かうことはなかったかもしれない。いや逆に全速力で食堂に向かい未然に防いでいただろう。けれどそんな都合のいい能力を持っているわけもなく、何を食べようか思案しながら彼は食堂へ向かって行った。
わいわいとにぎわう食堂へついたとたん漂ってくるいい香りに龍也が空腹を感じて、さっそくメニューを見に行こうとすると、特別にぎわっているテーブルがあることに、そしてそのテーブルにいるのが担当しているSクラスの教え子たちと同僚の林檎の担当しているAクラスの生徒たちであることに気がついた。会話の内容までは聞こえなかったが、やけに帽子がトレードマークの少年が盛り上がっているのが遠目でも分かる。少年、翔が元気であるのはいつものことだが、今日は特に熱弁を振っているようだった。

「(なにやってんだあいつら……)」

昼休みに友人同士で盛り上がるのはもちろん問題なかったが、明日締め切りの課題がある事を忘れてるんじゃないかと気になるのは教員として当然のことだ。なによりあの面子の中には最近は減ったもののさぼり・期限破り常習犯のレンがいる。余計に気になり近寄った龍也は、予想と違い机にのっているのが食器類ではなくフィギュアやらポスター、ブロマイドに切り抜き等などであったことに、しかもそれらすべてが見たことがあるものであることに気がついた。あれは……とどこで見たのか思い出そうとしたその時、耳に飛び込んできた声、正確にいえばその内容にぎょっとしてそれどころではなくなってしまった。

「あ、そうそう知ってっか。劇場版のケン王のこと!この前のポスターにさ、幻のポスターってのがあったんだぜ」
「へぇ、どんな?」
「筋肉の美しさを最大限に活かしたふんどしにマント1枚で仁王立ちっつーなかなか過激なポスターでさ。当時、うちの親父がスタイリストしてたんで、その時の写真が1枚だけ残ってたんだけど」

それは龍也にとって忘れられないものだった。ケン王を演じられたことは龍也の今を構成している大事な要素の1つであり、素晴らしい経験だったと思っている。が、これだけはあまり思い出したくない、いわゆる黒歴史だった(自分のふんどしとマント1枚の姿がポスターになり世の中に出ることになって素直に喜ぶ人間がいるのならみてみたいものだ)。それだけにそのポスターの話題が出ていることへの動揺と湧き上がってくる羞恥心がどれほどのものだったかは言うまでもないだろう。話題に出した翔に全く悪気がなかったことと実物がなかったことだけが救いだった。
熱くなる顔をごまかすように眉間にしわを寄せて、わざと足音を立てて近付くとすぐにレンが気が付き、それはそれは楽しそうに笑いかけ手を振ってきた。女子生徒へ向けられていたら間違いなく黄色い声があがっていそうだが、龍也にしてみればますます気分が下がるだけだ。レンに続くように他の面々も次々と龍也の存在に気が付いていく中、翔だけは未だ憧れのケン王について語り続けている。そのすぐ後ろに憧れの本人がいることにも気付かずに。

「この頃、俺、ケン王の弟子になるのが夢だったんだよなぁ。そんでいつか俺もケン王みたいな立派な……って……あれ?なんでみんな急に黙って……」

とうとう翔以外の全員が龍也の存在に気がつくと、翔本人もさすがにあたりの微妙な空気に気がついたのか語る事をやめた。皆が翔の後ろを見ていることにも気付き嫌な予感をひしひしと感じながらおそるおそる振りかえり、そしてすぐに後ろに立っていた龍也をとらえ大きな眼をますます丸く大きくし裏返り気味に声を上げた。龍也のしかめっ面に怒っていると思ったのか顔に大きく”しまった”と書かれてる。

「ひゅっ、日向先生!?」
「……お前ら、明日〆切の課題は当然終わってんだろうな?あぁ?」
「え、ま、まだ……です」
「だったら、こんなトコで油売ってねーでとっとと課題を終わらせて来いっ!」
「ごっ、ごめんなさーい!」

龍也が一喝すると翔たちはバタバタと机に広げられていた物をまとめ紙袋に入れあわただしく食堂を去って行った。どっと押し寄せる疲労感にため息をつき、ちらりと周りに視線を走らせると目が合った生徒たちがさっと顔をそらしていく……会話を聞いていたことは間違いないだろう。あの黒歴史が広まったのかと思うと悪気がないことはわかっているが少しばかり翔を恨めしく思う。とてもじゃないがこの空気の中で昼食を食べる気にもなれず、龍也も早歩きで食堂を去って行ったのだった。


結局、食堂で昼食をとることをあきらめサオトメイトで適当に軽食を買い、いつも通り職員室で食べた。途中でどこかへ行っていたらしい林檎が職員室に不思議そうに話しかけられたのにおざなりに返事をしていると、生徒の一人が駆け込んできたので相手をして、午後の授業をこなし、事務所の仕事を片付けていたらあっという間に夜だ。
自室に戻り汗と疲労感を流した龍也は濡れた髪をわっしわっしと拭きながらベットに腰かけ、冷蔵庫から持ち出していたミネラルウォーターをあおった。ふぅっと息を吐くと流しきれなかった疲れがどっと彼を襲う。
こうやって落ち着いてみると昼間、羞恥心を隠すために思わず責めるような口調で言ってしまったことに龍也は少し後悔していた。去り際ににやりと笑っていたレンや勘の良い一ノ瀬あたりは…というより天然らしい七海やそれどころじゃなさそうだった翔以外は龍也が照れ隠しできつめに叱ったことをわかっていただろう。自分でもわかりやすすぎたと自覚していた。だが表立って突っ込んでくるような顔ぶれではない。……レン以外は。

「(こりゃ明日の課題提出ん時になんか言ってくるかもしれねぇな…)」
先輩で教師、つまり目上の存在である龍也に対してそんなものは知らない関係ないとばかりにからかってくる。龍也はレンがそういう奴だとこの数カ月で嫌というほどわかっていた。だが入学当初の課題に全く取り組まず才能を無駄にしていた頃よりはましになったと言えるだろう。それもこれも何度も何度も課題をやるように言っていたらしい翔の影響によるものが大きいと龍也は踏んでいた。

「……来栖、か…」

昼間、食堂の机の上に並べられていた数々のものすべてが龍也に見覚えがあって当然だった。あれらはすべて龍也が演じたケン王関係のものだったからだ。翔がケン王にそして龍也に憧れているのは周知のことでもちろん龍也本人も知っていた。なにしろ翔が公言してはばからない上に、翔の龍也をみる目が憧れていると雄弁に語っていてまったく隠す気がなかったからだ。

「まいったな」

龍也にはそれがむず痒くて仕方がなかった。
アイドルそして教師という職業柄、憧れの視線や好意を向けられることは多く慣れていたが、翔の視線は好意は15歳にしてはあまりにまっすぐで26歳のいい大人にはいささか眩しすぎた。うらやましさすら感じるほどに。特定の生徒を贔屓するつもりはなかったが、好意を向けられて悪い気はしない。かわいい生徒で後輩の翔に役者として認められ尊敬され愛されて……喜ぶなと言う方が無理な話だろう。

「弟子がいたらあんな感じか」

ケン王の弟子になりたい、それは昼間翔自身が語っていた彼の夢だ。師弟関係の定義が指南し指南されることであるとすれば、翔の夢はすでに叶っているのではないだろうか。自分を師匠と呼び慕って来る翔を想像してふっと微笑んで、そんな自分に驚く。

「……まいったな」

先ほどと同じ呟きをこぼして龍也はもうほとんど水気が残っていない髪を乱雑な手つきでタオル越しにかき混ぜた。


翌日、朝一で提出にきた翔の課題を手に龍也は顔をしかめていた。読めないことはないが普段提出しているものよりも崩れている字。最後の方になるにつれてその崩れは大きくなり集中力が切れていることが分かる。普段はない誤字脱字も何箇所か発見した。何より、フレーズに翔らしさがあまり感じられなかった。
課題から翔に視線を移すとさっと目線をそらされる。デジャビュを感じながら龍也は重い口を開いた。

「……お前、これ昨日慌ててやっただろう」
「あ、やっぱわかります?」

えへへと苦笑をこぼした翔に呆れた。教師を何だと思ってるんだ。

「バレバレだ、アホ。こっちはこれでも一応教師なんだ。その程度見ぬけねぇでどうする。やり直してこい」

自分でもそうなっても仕方がないとわかっていたのだろうが、素直にうなずいて課題を受け取った翔はすこし本来の元気を失っているようだった。自業自得だが普段の元気を知っているため少しばかり心苦しさを感じてしまう。

「……一晩でこんぐらい出来んだ。3日くれてやるから最高のもんにして来い」
「はいっ!」

声をかければいい返事が返ってきたが本来の翔には劣る。どうしたもんかと考えた龍也の頭に浮かんだのは昨夜、無意識にでてきた独り言だった。だがそれを実際に意識的に口にするのは正直恥ずかしい。翔も昔の夢だと言っていたし、26歳にもなった大人が言う台詞ではないとも思った。……しかし、言うならこのタイミングしかないということもわかっていた。
来栖、と声をかけると翔はすぐに顔をあげた。視線が龍也にむけられる。しかし、龍也は声をかけたきりだまってしまった。怪訝そうに名前を呼ぶ翔に気付かれないように龍也は照れくささを押し殺して言った。

「その……なんだ。お前は俺の生徒で、言うなればケン王の弟子、みたいなもんだ」
「……先生……」
「きっちり教育して、立派なアイドルにしてやるからお前もしっかり頑張れよ!」

羞恥心を心の隅に追いやって力強く言い切り、微笑みながら翔の肩をたたくと輝く笑顔が返ってきた。

「はいっ!」

来たときは真逆の軽快な足取りで去っていく翔の背中を見ながら、やっと本来の笑顔を見れたとほっと息をつく。落ち込んでいる翔が龍也は苦手だった。教師と言う立場故に厳しく叱る事もある。その後にほしいのは落ち込みではなく食ってかかる気合いの方だった。そうでなくては彼らが目指している世界では生き残っていけない。甘いがしかし、間違った対応ではなかったのだと自身をなっとくさせていたところで


「りゅーぅーやっ」
「ぐふっ!」

背中から衝撃が龍也を襲った。こんなことをするのは一人しかおらず、振り向き飛びついてきた人物を睨みつけると案の定そこには林檎が立っていた。

「翔ちゃんってばかわいいわよねーっもう全身で龍也が好きっていってて!」

翔とのやりとりをどこからか見ていたらしい林檎はにーっこり微笑み言う。その語尾にハートでもつけてるような話し方に龍也はレンを相手にしている時と同じようないらつきを覚えた。

「うるっせぇ!お前これから授業だろうがさっさと準備していけ!」
「いやーん龍也こわーいっ!」

適当にあしらいながらも時計を見ると授業開始まで数分を切っていた。なんやかんやと言いながら出席簿をもって出て行った林檎に続いて、龍也も授業道具を手に教え子たちが待っている教室へ向かって行く。その胸がぽかぽかと暖かくなるのを龍也は自覚していた。この胸の温かさの原因が林檎ではないことは確かだと明記しておこう。







スマイリー・スマイリー

 




Music「俺のケン王」ネタ
課題は自室ででき、一晩でも終わらせられ、答えがあらかじめあるものなら3日やるという表現はおかしいものだと思われたので、作詞の課題だと仮定しています。
一部ゲームの内容をそのまま使っています。